我が青春のカルロス・トシキ
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今月末からポケオが会社の研修で
一週間家にいないのですが
ここだけの話し楽しみで仕方ありません。
寂しいって演技するのを忘れてたので
慌ててちょっと寂しそうにしてみましたが
わざとらしいにも程があったと思います。
スケジュールを見たら
一週間じゃなくて
二週間だったらしく
それをポケオから聞いた瞬間
満面の笑顔だったらしいです。
北島マヤを憑依させるのが
間に合いませんでした。
ポケオに
『そんなに嬉しそうにしないでよ。』
と言われました。
そんなん
無理。
ご飯はモンちゃんと二人で適当に済ませられるし
ポケオのイビキがうるさくて
毎晩睡眠不足だったけど
二週間も熟睡出来るなんて天国だわ。✨👼✨
『日曜日は休みだよ。』 って言ってましたが
『交通費がもったいないから
絶対に帰って来るな。』
と釘を刺しておきました。
最近昔の動画をyoutubeで観るのがマイブームで
80年代の歌謡曲をめっちゃ聴いてます。
ポケオのイビキで眠れず殺意を抱きそうになる夜には
1986オメガトライブの
『Navigator』を聴きながら青春時代を思い出す。
あ〜あの頃の
カルロス・トシキは可愛かったな〜💕
ゴーンじゃないよ。トシキだよ。
カルロス・トシキって誰やねん?な
平成ジャンプ生まれのあなたはこちらへ
そんなに揺れんでもってくらい
小刻みに揺れるカルロスが初々しいね。😆
〜ブラジルで育った日系ブラジル人の彼は
日本で歌手になる事を夢見ていた。
お父さんから
『日本で歌手になるには
ブラジルで一番にならないと通用しない。
もし一番になったら
飛行機のチケットを買ってあげる。』と言われ
必死に練習を重ね
17歳の時にのど自慢大会で優勝。
お父さんは仕事で使う電話を売り
日本への片道チケットを
カルロスにプレゼントした。😢✈️
何のあてもコネもない状態で
18才の時に単身で日本へ渡り
言葉の壁、ホームシック、
カルチャーショックに涙しながら
アルバイト生活をしデモテープを送り続けた。
4年後にやっとチャンスを掴み
念願のデビューが決まる。
なぜ『君は1000%』なのかと言うと
ポルトガル語で
“100”のことを“セン”と言うそうです。
センパーセント=100%だと
今更知った2020。〜
カルロスの甘くて澄んだ歌声が大好きだったな。
動画巡りをしてたらこんなの見つけた。
『夜のヒットスタジオ』でドッキリ。
この時代は飛行機代も高かったし
ブラジルから日本まで
片道28時間〜30時間掛かった。
電話代も高くてなかなか話すことも出来ず
ずっと会えなかった両親とサプライズご対面。
真夜中にもらい泣きしちゃっただよ。😭
現在カルロスは55歳。
ご両親は既にお亡くなりになられているそうです。
親孝行出来て良かったねぇ。😭😭😭
昭和に浸る今日この頃…
ノスタルジックなマックのCMのせいかな?
昭和の人はこっち。😆
#懐かしぃ〜
#良い時代でした