ユタ州に住んでみた

50代からのアメリカ移住。ユタ州の実態を発信中。


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我が青春のカルロス・トシキ

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今月末からポケオが会社の研修で
一週間家にいないのですが
ここだけの話し楽しみで仕方ありません。


寂しいって演技するのを忘れてたので
慌ててちょっと寂しそうにしてみましたが
わざとらしいにも程があったと思います。

 

スケジュールを見たら
一週間じゃなくて
二週間だったらしく
それをポケオから聞いた瞬間
満面の笑顔だったらしいです。


北島マヤを憑依させるのが
間に合いませんでした。

 

ポケオに

『そんなに嬉しそうにしないでよ。』

と言われました。

 

そんなん

 

無理。 

 

ご飯はモンちゃんと二人で適当に済ませられるし

ポケオのイビキがうるさくて

毎晩睡眠不足だったけど

二週間も熟睡出来るなんて天国だわ。✨👼✨


『日曜日は休みだよ。』 って言ってましたが

『交通費がもったいないから
絶対に帰って来るな。』

と釘を刺しておきました。

 

最近昔の動画をyoutubeで観るのがマイブームで
80年代の歌謡曲をめっちゃ聴いてます。

f:id:weather330:20200313001853j:image

 

ポケオのイビキで眠れず殺意を抱きそうになる夜には

1986オメガトライブの

『Navigator』を聴きながら青春時代を思い出す。

あ〜あの頃の
カルロス・トシキは可愛かったな〜💕

ゴーンじゃないよ。トシキだよ。

 

カルロス・トシキって誰やねん?な

平成ジャンプ生まれのあなたはこちらへ

 

そんなに揺れんでもってくらい

小刻みに揺れるカルロスが初々しいね。😆

 

〜ブラジルで育った日系ブラジル人の彼は

日本で歌手になる事を夢見ていた。

 

お父さんから

『日本で歌手になるには

ブラジルで一番にならないと通用しない。

もし一番になったら

飛行機のチケットを買ってあげる。』と言われ

必死に練習を重ね

17歳の時にのど自慢大会で優勝。

 

お父さんは仕事で使う電話を売り

日本への片道チケットを

カルロスにプレゼントした。😢✈️

 

何のあてもコネもない状態で

18才の時に単身で日本へ渡り

言葉の壁、ホームシック、

カルチャーショックに涙しながら

アルバイト生活をしデモテープを送り続けた。

4年後にやっとチャンスを掴み

念願のデビューが決まる。

 

なぜ『君は1000%』なのかと言うと

ポルトガル語で

“100”のことを“セン”と言うそうです。

センパーセント=100%だと

今更知った2020。〜

 

カルロスの甘くて澄んだ歌声が大好きだったな。

 

動画巡りをしてたらこんなの見つけた。

『夜のヒットスタジオ』でドッキリ。

この時代は飛行機代も高かったし

ブラジルから日本まで

片道28時間〜30時間掛かった。

電話代も高くてなかなか話すことも出来ず

ずっと会えなかった両親とサプライズご対面。

真夜中にもらい泣きしちゃっただよ。😭

 

 

現在カルロスは55歳。

ご両親は既にお亡くなりになられているそうです。

親孝行出来て良かったねぇ。😭😭😭

 

昭和に浸る今日この頃…

ノスタルジックなマックのCMのせいかな?

 

昭和の人はこっち。😆

 

 

#懐かしぃ〜

#良い時代でした

 

 

 

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