ユタ州に住んでみた

50代からのアメリカ移住。ユタ州の実態を発信中。


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極貧ハワイ生活〜ハワイで不妊治療①〜

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結婚する前、

ポケオとハワイのビーチで

将来について語り合った。

 

結婚した後にどこに住みたいとか

子どもは何人欲しいとか…

 

6人兄妹で育ったポケオは

子どもは5人くらい欲しいなぁと言った。

 

その時既に30過ぎていた私は

体力的に厳しいと思いつつ

『そうだね、

5人いたら賑やかで楽しいだろうね。』

と答えた。

 

結婚した時に私は33歳だったので

一日も早く赤ちゃんが欲しいと思っていた。

 

色々なリスクを考え35歳までには

一人目を産みたいと焦っていた。

 

新婚生活3カ月目に

産婦人科へ行き相談してみる事にした。

 

通常は結婚して一年以上経っても

妊娠しなかった場合に

病院で検査すると言うのが一般的らしいが

せっかちな私は一年も待っていられなかった。

 

検査した結果

ポケオに致命的な疾患が見付かり

自然に妊娠する確率は

0%と告げられた。

 

ゼ……ゼロ……パーセント……?

 

頭をハンマーで殴られた様な衝撃を受けた。

 

ポケオが3歳の頃に

ある病気になって受けた手術が原因だった。

 

病気の方は完治したので

手術は成功したものとされていた。

実は重大なミスがあった事を

結婚するまで気付かなかったのだ。

 

ポケオはお義母様に電話をして

その事について報告をした。

 

電話の向こうでお義母様は泣いていた。

泣きながらポケオと私に謝った。

 

『ポケオのせいでも

お義母様のせいでもないから仕方ないよ。』

 

頭では分かっているけど

その日はどうしようもなく涙が溢れ

ポケオと二人で抱き合って泣いた。

 

翌日もポケオはションボリしていた。

24歳の若さで

子どもを持つ事が出来ないと言われたら

それはそれはショックに決まっている。

 

ポケオがトイレからなかなか出て来ないと思ったら

トイレの中から

ポケオがシクシク泣いている声が聞こえた。

 

私より辛いのはポケオの方だ。

 

こんな時、私がメソメソしていたら

余計にポケオを傷付けてしまう。

 

私はもう絶対にポケオの前では泣かない!

 

そう決意した。

 

決意したものの

街で赤ちゃん連れの家族や

妊婦さんを見かけると胸が痛んだ。

ふとした瞬間に

急に涙が溢れそうになる事が何度もあった。

 

でも私は泣かなかった。

もう泣かないと決めたから。

 

結婚する前に

夢を語り合ったビーチ……

あの頃の私たちは

こんな現実が待ち構えているとは

思いもしなかった。

 

けれど同時にある事を思い出した。

 

私たちはあの頃夢を沢山語り合ったけど

同時にもし大きな試練や困難に遭った時はどうする?

と言う話しもしていた。

 

もし事故や病気で歩けなくなったらどうする?

もし目が見えなくなったらどうする?

もし子どもが出来なかったらどうする?

 

子どもが出来なかったら……

 

そしたら自分たちに出来る

最大の努力をして

それでも出来なかったら

養子をもらって育てよう。

 

それが私たちの答えだった。

 

そうだ、そうだった!

今、私たちは悲しんでる時ではなく

最大の努力をする時だ!!

 

私はインターネットで勉強しながら

不妊治療の本を沢山読んだ。

 

そして私たち夫婦の場合、

顕微授精と言う方法なら

わすかながら妊娠出来る可能性があると知った。

 

しかしハワイで不妊治療するには

膨大な費用が掛かる事もわかった。

 

もし不妊治療を始めるなら

ポケオは仕事を増やさなければならないし

そうなると学校へ通うことを諦めなければならない。

 

本来ならポケオが

大学を卒業するまで待つのが理想だが

ドクターから私の年齢だと

待っている間に成功確率がどんどん下がるので

すぐに治療を始める様にと促されていた。

 

学校を取るか子どもを取るか……

 

ポケオはしばらく考えてから

学校を辞めると言った。

 

そして二人で何度も話し合い

一回だけ顕微授精に挑戦する事にした。

 

私たちの経済力では

それが精一杯だと判断した。

 

それでダメだったら諦める。

 

たった一度のチャンスに全てを掛けて

不妊治療を始める事にした。

 

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